スマホで学ぶ自由と自律、交渉と対話

娘のスマホは高校生になってから、ということにしていた我が家。
が、のめり込みやすい娘には、少しスマホやネットの怖さも学んでほしかったので、彼女の誕生日に、機種変したわたしのお古スマホを渡すことにした。

スマホ使いのルールは娘が作り、わたしの同意を得て決定する。それに不都合が出てきたら、その都度、互いに交渉してルールは変更していくこと。
それが条件。
だから、最初のころは、娘がルールを守れなくなったりコソコソするようになったりして度々ケンカした。
わたしは容赦なくスマホを1週間没収することもした。

だってスマホやネットやゲームは麻薬と一緒。
簡単に中毒になるし、やめられなくなるのは当たり前。
わたしは、娘にそれくらいスマホやネットは「怖い」ものなんだよ、自分で律していくのはすごく難しい代物なんだよ、ということを知って欲しかった。
親の守りの眼差しのなかで、安心した状況下で。

そして、
「わたしとスマホ」つまりスマホとの付き合い方をよく知るには、とにかく失敗してみるしかない。
だから、わたしは最初からトラブルやケンカを覚悟して渡したし、彼女のルール遵守には厳しく対応した。
だけどその一方で、ルール変更の話し合いは喜んで向き合った。
このルールではうまくいかない、と氣づくことも、新しい案を考えることも、相手を納得させるために話し合いをすることもすごく大事な力になると思ったからだ。

そうして、
幾つもの失敗も話し合いも経て、
いまやスマホの電源を切る8時を過ぎると、娘はサッパリした顔をするようになった。
というのも、「使えない」という状況が自分を守り、もっと見たいという葛藤がなくなって楽になるということに氣づくようになったのだ。
約束をした家族がいるおかげで、それができるという有難さも薄っすらわかってきたらしい。
お見事!
きちんとケンカしたかいがあった。

制限というのは、ときにもどかしかったりもするけど、視点を変えると意外と自分を守ってくれるものだ。
できないということを明らめるというのは、ある意味、ずいぶん自分を楽にしてくれる。
できない、ということをプラスにするか、マイナスにするか。
意識の違いがうむものでもあるのだろう。
また、「できない」を突破したければ、新たな道を考えたり対話したりするというのも、またもうひとつのやり方だ。

どちらにせよ、
とにかくやってみるしかない。
そこに普遍的な正確がないからこそ、見出していくものはたくさんあって面白い。
私は、娘と一緒にスマホに付き合ってみて、またたくさん学ばせてもらったなぁと密かに感謝していたりする。

わたしも家族という幸せな「制限」のなかで守られているよ。
ありがとう。

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